お釈迦さまは、今から約2500年前頃、ネパールのルンビニーに,釈迦族の王子としてお生まれになり、ゴータマ・シッダールタと申されました。王子として裕福な暮らしに恵まれたものの、人は生まれ,そして死んでいくという、人生の問題に苦悩され、29歳で出家されました。6年もの厳しい修行の後、35歳で悟りをひらき、仏陀(ぶっだ=さとった人)とお成りになりました.縁起説や諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切行苦などに代表される教えを説かれました。
以後、お亡くなりになるまで、多くの弟子の育成と仏法を伝道される旅をお続けになりました。曹洞宗のご本尊は、このお釈迦さまです。お釈迦さまがお悟りをひらき、その教えが説かれ、お弟子さま達により代々連綿と正しく伝えられてきたことによって、現在の私たちも仏法に巡り逢うことが出来ているのです。
私たちは、このご本尊であるお釈迦さまを礼拝すると共に、仏法僧の三宝を礼拝し、その教えを拠り所に正しく精進して生きていくことによって、お釈迦さまの慈悲と智慧、そして歓喜を、私達の身と心の上に体現していく事が出来るのです。
お釈迦さま
道元禅師(どうげんぜんじ)
道元禅師は1200年、京都に生まれ、14歳のときに比叡山(ひえいざん)にて得度(とくど)されました。24歳で仏道を求め宋に渡り、如浄(にょじょう)禅師のもとで修行に励まれ、「正伝の仏法」を相続されました。
28歳で帰国した後、正しい坐禅の作法と教えをすすめようと『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著され、34歳のときに京都の宇治に興聖寺(こうしょうじ)を建立し、最初の僧堂(修行道場)を開いて修行者の養成と在俗の人々への教化を始めました。また、仏法の境地と実践を伝えるべく『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の執筆を続けられ、45歳のときに福井の越前に大仏寺(後に永平寺と改名)を建立しました。
その後も道元禅師は修行の生活を送りながら弟子の育成につとめられ、1253年、54歳でそのご生涯を閉じられました。
瑩山禅師(けいざんぜんじ)
瑩山禅師は1264年(1268年の説もある)、越前に生まれ、8歳で永平寺に入り永平寺三世(永平寺の3代目の住職)義介(ぎかい)禅師のもとで修行を始めました。
13歳で二世懐弉(えじょう)禅師について正式に僧となると、瑩山紹瑾(じょうきん)と名を改め、19歳になると諸国行脚(あんぎゃ)の志をたて、求道(ぐどう)生活に精進されました。
そして35歳のとき、義介禅師の後を継いで加賀国(石川県)の大乗寺住職となり、2年後に『伝光録(でんこうろく)』をお示しになりました。その門下には優れた人材が集まるようになり、曹洞宗が発展する基礎が築かれました。また,50歳で能登に永光寺(ようこうじ)を開き、そこで『坐禅用心記(ざぜんようじんき)』を撰述されたといわれています。
その後、58歳のとき諸嶽寺(もろおかでら)を寄進されると禅院に改め總持寺と名づけました。1324年、61歳のとき總持寺の住職を峨山(がさん)禅師に譲られ、翌年62歳でそのご生涯を閉じられました。